マヤ時代のサッカー場。ゴールが丸い

マヤ・サッカーの球戯場。ルールや試合の様子は壁に残る彫刻で詳細に知ることができる。
アメフトのように防具を身にまとい激しく戦う。敵陣の壁にぶつけると得点になる。輪っかの中にボールを入れるとその場で勝利となる。
これは生贄の儀式の一環で、勝者は神に血をささげる。切り落とされた首から噴き出しす血が、恵みをもたらすと考えられていた…んなわけないのに…

文化や習慣と言ってしまえばそれまでだが、生贄の裏の意図や発祥、根源たる目的には殺人そのものがあるのではなかろうかと思ってしまう。それほどまでにマヤは生贄の儀式が盛んだった。
つまり、統治者または神官のようなポジションの人間が、何らかの理由で殺したい人がいて、理由をつけて殺し、それが慣例化され目的は神への捧物へと昇華された。
今で言う、一種裁判所のような機能を有していたのではないか。

なんだか懐かしくて神秘的な九份

19世紀末に金鉱が発掘されたことにより発展した町だが、日本統治時代から徐々に金の採掘量が減少し、第二次世界大戦後に枯渇。
今でもその時代の街並みが残っていて、日本人にはどこか懐かしい。
二・二八事件を描いた映画「悲情城市(A City of Sadness)」が台湾で大ヒットし、ロケ地となった九份も一躍台湾の中で有名な観光地になった。
独特の地形から、常に霞がかったような天候になりやすいので、千と千尋の神隠しよろしく、神様の世界に迷い込んだような錯覚を覚える。

オシャレな国境。グルジアとアルメニアの壁。

日本人にはほぼなじみのないグルジア。西アジアの北端というのか東ヨーロッパというのか微妙な位置にあります。南コーカサス地方の共和制国家で旧ソビエト連邦のひとつでした。写真は、グルジアとアルメニア国境のグルジア側ゲート。国境は小屋があって変なおっさんがスタンプ押してくれるイメージがあるけど、これは美術家みたいですね。設計はka Machablishvili氏。

明日試したくなるカスタマイズ、ネットな日々に役立つ小技と、たまに旅行の妄想と。