言わずと知れたバラエティーの大御所、志村けんさんの主な業績
1950年2月20日(70歳) 東京都生まれ
身長166cm
芸人としての同期は、ビートたけし、笑福亭鶴瓶などで、現在でも活躍している芸人がたくさんいます。
志村けんの歴史
1973年、23歳の時にザ・ドリフターズの見習いメンバーとしてドリフに参加。
以後活躍の幅を一気に広げました。
『8時だョ!全員集合』時代
1969年~1985年(1972年に数ヶ月の休みあり)
番組全体の平均視聴率は27.3%。
最高視聴率は1973年の50.5%。
日本国民の半分が見るテレビ番組として伝説となっています。
志村けんさんの参加は1976年以降。
番組が打ち切られる直前にはスペシャル企画でも30%台以下に視聴率が低下していたが、それでもなお30%台であり、やはり伝説の怪物番組と呼ばれるにふさわしい。
『ドリフ大爆笑』時代
1977年~1998年にレギュラー放送された「ドリフ大爆笑」は火曜8時台や水曜の7時台に放送されていた番組。
平均視聴率は19%台で怪物番組と称されました。
最高視聴率は1980年の40.4%
歌コーナー、コントコーナー、など、今のドタバタお笑い番組の先駆けとなりました。
『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』時代
1986年から1992年に放送された番組。
6年間の平均視聴率は18.3%。
最高視聴率は1987年に記録した36.0%。
特に人気だったのが、視聴者投稿の笑えるビデオ作品の投稿を紹介するコーナーで、考案者は志村けんさん本人。
当初はスタッフに猛反対したが、企画として採用されると瞬く間に人気コーナーになりました。
この後、投稿ビデオコーナーは『さんまのからくりTV』や『さんまのスーパーからくりTV』でも採用される事となり、現在でも頻繁にある、おもしろYouTube紹介コーナーなど、テレビの一時代を築いた志村けんの偉業と言えます。
『天才!志村どうぶつ園』時代
2004年~
最高視聴率は2011年の19.7%。
現在のまでの平均視聴率は9%台後半です。
録画や配信が増え、テレビをオンタイムで見ない人が増加しているこの時代において、素晴らしい視聴率を記録しています。
同じような『坂上どうぶつ王国』の視聴率は、人気お笑い芸人のサンドウィッチマンを起用しているにもかかわらず、視聴率は5%に満たないことからも、この『天才!志村どうぶつ園』の数字の凄さが分かります。
単身世帯、二世帯、三世帯、夫婦のみ、いずれの家族構成にも視聴率が高く、やはり志村けんさんの幅広い人気が伺えます。
志村けんさんのギャグ
老若男女幅広い世代がみんな知っているギャグやキャラクターが多く、その偉大さが分かります。
アイーン
もともと「アイーン」というセリフはなく、“怒っちゃヤーヨ!”の腕の位置がもう少し下がったポーズでした。
また、志村けんさん本人も「アイーンはギャグじゃない。ただのポーズだ。」と述べています。
台湾などの海外でも、だいじょうぶだぁ や、アイーン の認知度は高く、日本を代表する芸能人となっています。
2016年8月19日には肺炎で入院。この時の肺炎の主な原因は1日に3箱は吸っていたというタバコで、ヘビースモーカーとして有名だった志村けんさんですが、この入院をキッカケに禁煙しています。
現在は健康オタク、動物愛好家として知られているだけに、今回の新型コロナウイルスの感染はショックが大きいです。