一口に古代エジプトと言っても、主だった遺跡でも紀元前2000年~西暦300年ぐらいのまで幅があり、建築様式や彫刻の雰囲気は異なる。
ピラミッドの時代からはかなり新しいホルス神殿は、建物も大型化し、壁は高く、彫刻も大きくなる。
そして通路がいい感じの隙間になる。
サッカラの屈折ピラミッドが屈折している理由
学者の間での通説と、それに対する立場の学者の批判。
1.王が建設中に死にそうになったから角度を緩やかにして完成を早めた。
そんな理由で当時から”究極の建造物”であったピラミッドの美学を曲げるとは考えにくい。実際追王の死後しばらくしてから完成したものもある。王が即位してから30年後に建設が始まっているが、王の死に必ず間に合わせる必要があったのなら、もっと早くに作り始めているはず。また、これ以後のピラミッドの角度が上半分のものと同じに統一されていることから、単に建設期間を短くしたかったなどという理由はありえない。
2.上半分が上エジプト、下半分が下エジプトを表している。
なぜこれ以後の王にこの形のピラミッドがないのかの説明がつかない。上下エジプトを表すものとしては、柱の形などで表される場合があるのは事実だが、角度で表現したものは他に実例が無い。
3.急角度で作り始めたが、急すぎて崩れそうだったので途中で緩やかに作り変えた。
そんな急に設計を変えられない。ビルを作っている途中で上半分だけ別の設計に作りかえるのと同じで、設計をゼロからやり直さない限り4000年も崩れずに残ることはありえない。実際、これ以前に建設されたもので設計が甘く半ば崩れてしまったピラミッドの残骸は沢山ある。
4.途中で王が変わったので、上下はそもそも別物。
下半分は父親のフニ王時代、上半分は息子のスネフェル王時代。つまり親子合作なので変な形になった。が、3 同様に、そんなに簡単に設計をやり直すことなどできない疑問。
5.そもそもこの形で1つの完成形。元々こういう形を作りたかっただけ。
最古のピラミッドは階段形になっているので、ピラミッドの形が時代と共に変わっていったのは事実。この説には反論の余地がないが、これほど特殊な形をしたものに、何の意味も無いと言ってしまっていいものか。
砂嵐にかすむピラミッド群。まさに大砂嵐。
ピラミッドは結構色々なところにあるが、そろいも揃って砂漠にある。
エジプトはナイル川沿いには緑もあるし、古代エジプト統治の時の南エジプトにはジャングル地帯もあるのだが、砂漠を選んで作ったかのよう。
位置に宗教的意味があるのかもしれないが。乾燥地帯に作ったことで、色々と破壊されずに保存されたというラッキーな結果になった。