マヤ文明の最大の特徴とも言える生贄の儀式。
現代の暦と比較しても遜色ないレベルの天体観測の技術と優れた天文学的知識を誇りながらも、太陽の再生の儀式の為に生贄の心臓を捧げる習慣などがあったとされている。うーむ…理解しがたい。
水源あるところ文明あり。人が生きていくには水が必要。
黄河文明、メソポタミア、エジプト、古代文明が栄えた地域には必ずと言って良いほど巨大な河がある。
人が定住するには水が必要だからだ。飲む、農作物を育てる以外にも、物を運んだり、地域を衛生的に保つなどの働きがある。
アステカ・マヤ文明に関しては河は無く、夏は暑く、降水量も少ない季節がある。そんなマヤ文明を支えたのが、地下水。大地が大きく陥没し、地下水が顔をのぞかせているセノーテと呼ばれる池こそがマヤ文明を支えた。
しかし河ではないので物流面でのメリットは与えてくれず、それが故に独自の文化・文明が生まれ、発展したのかもしれない。
マヤの天文学の結集、世界遺産チチェン・イツァのククルカン神殿。
マヤの暦はかなり正確で、現代の天文学的な立場から見てもほとんどズレがないという。
春分の日には、ピラミッドの角からの陰がケツァルコアトルの胴体部分に波模様を描き出したり、夏至、冬至には陰がピラミッドのちょうど真ん中にきたりなど、暦を知ることのできる仕組みが数多くある。
マヤは20進数を使っていたので、その天体の動きの計算は、どこか他の地域からの発展ではなく、完璧にオリジナルのものだった。天体を観測していた様子の壁画なども沢山残っていて、偶然の一致により正確だったわけではないことが伺える。